情報の隠蔽と統制、その中の私

インターネット上の人格っていろいろあるけれど、あなたってどうしてます?本名出してる?―それはないか。じゃあ、住んでるところは?― 都道府県レベルなら、なくはない。それじゃ、年齢は?― 聞かれれば答える程度、の人はそこそこいるだろう。

私は、ほとんど明かしていない。本当に「情報」を明かさない方なので、逆に明かしている情報を明確に指せる。具体的には生誕地、市町村レベルの住所、生まれ年を除く生年月日(実質的に月日)の3つ。他は明かしてないつもり。明かしていたとしても、致命的なものではないものばかりだと思う。例えば血液型も明かしてるかもしれないけど、知ったところでどうしようもないでしょ。

それじゃあ、何故明かさないかっていうと、インターネットの匿名性を最大限に享受したいから。他にもいろいろあるが、端的に言うならそう。少なくともこの国、日本では実名を明かさなくてもインターネット上で活動できるし、住所なんてそもそも明かす必要がない。

私はそう人間の心理や先入観に詳しいわけではない。しかし直感として、年齢や性別を明かすとそれを元に知識や思考を勝手に判断されたり値踏みされたりする。結果として「君は若いんだから~」「人生経験が~」みたいな返答に結実される。

ファッキン。確かに人生経験は豊富であれば世渡り上手になり、若い奴の思考では大人の世界™では立ち行かないのはわかる(私が若いやつとは言わない)。スカム。人生の方針やら自分の思想やらは自由なのに、他人に年齢やらで指図されるのは気に入らない。話した内容を元に難所を指摘するとかならいいのだが。

つまり、むやみに情報を明かすと要らぬ先入観を抱かれる。そう思ってる節があり個人情報を明かさないという方針に繋がっている。匿名―名前は便宜的についているが―であればインターネット上でコミュニケーションを取る土台が平坦になる。人の属性ではなく、人の中身でコミュニケーションが取れる。

逆説的に言うなら、私は何歳と思われてもいいわけだ。10歳だろうが20歳だろうが50歳だろうが。性別だってなんでもいい。男だったり女だったり、両方だったり、そうでもなかったり。

一方で、個人情報を統制するのは非常に神経をすり減らす。現実のイベントをむやみに SNS などに垂れ流すと年齢ぐらいはすぐに暴かれてしまう。例えば仕事してると言えば(あかれぎは遵法です)少なくとも高校生以上ということが明らかになる。酒飲んだと言えば20歳以上で、その他有耶無耶は有耶無耶。

匿名性と引き換えに、この統制は発言内容の制限を招く。これは非常に厄介者で、ストレス発散に愚痴ろうと思ってもそれが個人情報に直結するなら話せない。楽しいことであっても直結するなら然り。非常につらい。

この方針はいずれ捻じ曲げるかもしれないし、ずっとこのままであるかもしれない。少なくとも今はそう。明日はわからない。

そんなポエムでした。

十月十九日

なんとなく書きたくなった。書こう。

流行りの何か

最近とちょっと前、私の周りで Scrapbox なるものが流行った(っている)。いわゆる文書管理システムで、書き物を整理するサービスといえばわかりやすいだろうか。

[ここで数十行に及ぶ Scrapbox 論考が生み出されたが、怪文書ということで削除された]

さて、Scrapbox が私の周りで流行った理由はよくわかる。文書管理システムとして使いやすいのだ。直感的にやりたいことがそれなりのレベルでできる。記法も慣れればわかりやすいし、バージョン管理もできるようだ。ハッシュタグなど現代的な要素も取り入れている。更にはプロジェクト別に文書を置けるので、公開非公開とか共用非共用とかの設定も易い。

[ここで十数行に及ぶ VCS との比較論考が生み出されたが、怪文書ということで削除された]

まあ、便利なのだ。サービスの思想とかは横に置いたとしても設計が優秀なので誰でもそつなく使える仕上がりになっている。

私の中の流行りは

流行りといっても色々あるだろう。世間の流行り、ホモサピの流行り、野毛山動物園のひよこの流行り。人それぞれ、動物それぞれ。もっともこいつらを話してもしょうがないので、私の中の流行りを紹介する。その名も、クッキークリッカー……!

そう、数年前日本中のインターネット世界を揺るがしたクッキー地獄、おばあちゃんが焼いたクッキーが宇宙を揺るがすクッキーバース、見るも食べるもすべてがクッキー。そんなゲームである。

相当の年月を経て、クッキークリッカーは相当に進化している。昔は光からクッキーを作るのがせいぜいだったらしいが、今ではクッキーの生まれる可能性を作れる。クッキーからクッキーを生み出せる。神殿にクッキーを捧げればもっとクッキーがもらえる。クッキー畑にクッキーを植えればクッキーが生える。魔法使いにクッキーを賄賂して魔法を唱えて貰えば更にクッキーが生み出される。そんな感じになっている。

あまりに有名なクッキーブランドなのでここで多くを語る必要はない。しかし、これだけは言っておきたい。クッキークリッカーをやれ。後悔はしない。

それぞれの流行り

そんなわけで、今回の記事のネタは「流行り」に決まりそうだ。あ、例のように書きながらネタ考えてるからあしからず。

今は夕方あたりだと思ってほしい。リビングの机で面倒くさい作業をしている。あまりの面倒くささに嫌気が差して、ふとテレビを眺めてみる。アナウンサーがニュースを伝えている。細々したものはともかく、大体の時間はここ最近有名な話が持ち出される、これは、いわば流行りの話題であり、私含めて色んな人がそれに釘付けになっている。

今は深夜ぐらいだと思ってほしい。じゃれあう人もいないし、話す人もいない。かといって寝る気もないので、暇つぶしに恐ろしげな某T社のまとめサイトであるサービスTの記事を見てみる。ビュー数が多いものがちらほらある。そのコメント欄は案の定荒れている。これもまた、広大なるインターネットの一泡沫でありながら流行である。

情報だらけの社会で何の流行りもないというほうがおかしい。この情報社会に生きる私(と愉快なホモサピ一同)は誰かの流行りに乗ったり、飽きたら降りたりしている。流行りは生まれ、消費され、消え去る。モノを大事に扱う考えは市井に広まっているようだが、情報……もとい流行りを大事に扱う考えは広まっていない。何かが流行らなくなったとしても、その何かが消え去るわけではない。

自分だけの流行り

忘れてもいいような(むしろ忘れたい)流行りもある。降りても大したことにならぬ流行りもある。しかし、忘れてはならないものがある。

かつて、大地震があった。テレビで取り上げられ、ネットで議論された。一種の流行りであったが、今や一年に一度しか思い出さない人が多勢だろうか。

日本列島規模に考えると死ぬので、もっともっと小さく考えてみる。一昨年ぐらいに PPAP が流行ったが、今では誰もが過去の一発屋ぐらいにしか思ってないだろう。しかし、ピコ太郎は今でもすばらしい楽曲を生み出している。流行りが終わっても、流行りの対象が消えるわけではない。

Everyone must die, PIKOTARO

まずは自分の流行りをもってみることから。それも、すぐには飽きないような何かを。忘れてはならないこと、忘れたくないこと、むしろ覚えていたいこと、色々ある。この連鎖が続けば、自分も幸せになれる(かもだ)し、流行の人も幸せになれる。

流行りを大事にしよう。いい理由であれ悪い理由であれ、生まれた情報には理由がある。大小はあれど、後世に伝わるようにしなければならない。過去を過去のままにするだけではなく、今に留めてもいいこともある。

六月十五日

プレアンブル、または序文的はじめに

最後の投稿からざっくり五ヶ月経ってしまった。ヒュムノスを含めない本筋ならまるまる六ヶ月分過ぎ去ったことになる。三日坊主というが私の場合半年坊主らしい。明智光秀でさえ即座にアノヨに召されるぐらいの長さだ。

で。

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十一月二十九日 第二幕

以上の2つの設問をクリアした人向けのネタバレ記事です。もしやっていないのなら最初にやること。また、悪魔の方は別途ネタバレ記事があるのでそちらを見てください。

以前の悪魔の方よりだいぶ簡単にしました。運ゲー要素もバッサリ切ったのでよくよく考えれば解けるはず…です。アイデアロール云々という説明も設問中にありますが、事前の情報収集を怠っていなければ振る必要はありません。

OK? 以下よりネタバレです。Google のフィードバック使えと言ってはいけない

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十一月二十九日

11/29. 日本古来から伝わる古事記にはこう書かれている。

「11月29日はすなわち「いい肉の日」である。
この日に食わずしていつあなたは肉を食べるのだ?

そういうことである。今日の夕飯は肉だ。素晴らしい……!